【自己紹介 ☆第1章、幼少期の体験が治療家への道を歩ませた】
みなさんおはようございます!京都市山科区の渋谷街道沿いにある、じとう接骨院の院長、地當です。

実は、私、Kindle出版で電子書籍を一冊出版しております。
ほぼ自伝です(笑)
それを、ブログで順次公開しようと思います。
2回目は、生い立ち、家族との物語です。
読んでいただけると嬉しいです。
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1972年1月、地當家に長男として私は生まれました。

母は「健一が生まれた年は冬の寒さが厳しかった。おむつを替える時にブルブルと体を震わせていた」と話してくれたことがあります。
その時の記憶が体に残っているのでしょうか、いまだに寒いのは苦手です。
兄妹は弟と妹が1人ずついて、弟は3つ年下、妹は6つ年下の3人兄弟で遊び、時には、ケンカしながら育ちました。

私の父は、潮岬のある和歌山県の串本町出身で、京都で魚屋さんを開いている地元の先輩を頼り、そのお店での修行を経て京都の山科で「魚伊」と言う魚屋を開きました。
父は店を開いた当時は独身でした。父が開業して2年が経った頃に串本町の知人の紹介で母とお見合いをして結婚したということです。

お店は繁盛しており両親共に忙しくしていたようで、なかなか子育てに手が回らなかったということです。

そんな両親を手伝うために母方の祖母が串本町から京都まで出てきて私たち兄弟の面倒を見てくれていました。

◎母からもらった私の才能

幼稚園に通っていたころや小学校の低学年の時の私は、大人しく内気でいつも人の後ろに隠れているような子供でした。
走る、跳ぶといった運動は人並みに出来たのですが、バットやラケットなどの道具を持たせると、まるでダメ…。
皆で野球をする時などは、私が入ると負けるので、のけ者にされた記憶があります。

そんな私を見て母親は、何とかしっかりしてもらいたいと思っていたのでしょう。愛の鞭をふるい厳しくしつけをしてくれました。

それは、子供のころの私から見ると非常に怖かったのです。
ヒステリックに怒られた、そんな記憶しかないのです。

今では女性特有の周期があり、少しの事でイライラしてしまう時期があると言うのは理解しています。
が、当時5,6歳であった私にとっては、そのヒステリーは本当に怖くて「何で怒られるのか?どうしたら良いのか?」理由が全く分からず、まさに恐怖を感じてばかりでオドオドしていた記憶があります。

そんな経験があるので、どんな時に母は怒り出すのか知りたくなり母が発する雰囲気を常に観察するようになりました。

そして気が付いたことが1つあります。

母親は、怒り出す時に背中が固まり首は歪み、背中に重苦しい空気が漂ってくるのです・・・本気で怖いですよ((+_+))

私にとって人を観察するということは、理不尽さから自分を守るという事とイコールなのですよ。

観察するというのは私の才能の一つです、恐怖から身を守りたいという欲求から生まれたのですね。

今の仕事に非常に役に立っているので、母親からのプレゼントと言えるのかもしれませんね、ありがとう!

以前、私は、北端 康良さんが開発された「才能心理学」を学びました。

そこでは、感情×行動×能力=才能と定義しています。

それを学んだおかげで、観察するということが、自分の才能であるということを気づいたのです。

私の場合は恐怖×身を守る×見続ける=観察するとなるのでしょうか。

◎祖母からもらった私の才能
祖母は、忙しかった母を手伝うために京都まで来てくれていました。

母親に叱られてばかりいた私を祖母は常に庇ってくれ、そして認め続けてくれました。

夏休みなどの長期休暇になると一緒に田舎に帰省していました。

私にとって祖母の家は安心安全な場所だったのです。
そんなこともあってか、田舎の親せきからは「田舎に来たら、健ちゃんは良く笑っておどけていたなぁ」と今でもいわれるのです。

実家では母親への恐怖からオドオドしていたので同世代の友達にもそれが伝わり結構オチョクラレル対象になったりもしましたが、田舎での同世代の友人達との間では、そういった事も無く快活に朝から日が暮れるまで遊びまわっていた記憶があります。

ずっと笑って居たい、もっと遊んで居たい、これが自由だと喜び感じていたのでしょうね!

祖母からは「人は安心安全だと思える場所でない限り、ありのままで自然な自分を表現することは出来ない」事を教えてもらいました。

当院に来て下さる一部の方からは「ここに来るとホッとするから、いろんな事を話してしまうわ」というお言葉を頂く時があります。
自分ではあまり意識していないのですが、私には何か人を「ホッ」とさせる才能が有るようです。

「ホッ」とさせるというのは、祖母からのプレゼントなのでしょうね、お祖母ちゃん有難う!

祖母からのプレゼント、
守ってもらえた・認めてもらえた×笑って居たい・遊んで居たい×安心感を得られた=「ホッ」とさせる
という事になるのでしょうか。
この祖母からのプレゼントに思い至った時、祖母は私の中の脳にある記憶だけでは無く、生きていく力として身体の隅々に息づいていることを感じ心から安堵を感じました。

◎父からもらった私の才能

私から見てですが、父は物静かで、親切で周囲の信頼を得ています。

また、仕事の面でも誠実にアクドイことをせず鮮魚小売り業「魚伊」を営んでいました。
「魚伊」さんで売っている魚は鮮度が良くて値段も高くないという事で結構流行っていたように思います。

ですので経済的にも家族に心配をかけたことが無く兄弟三人を私学に通わせてくれました、それも当たり前のように!
また養育に関しても普段は口を出さなかったのですが、相談すると的確に答えてくれました(よく見ていてくれたのですね)

その様な父の元で育ちましたので、経済的にも精神的にも困ったという経験が無いのです。

「当たり前のように家族を守り導いていくのが夫であり父親であり家長の勤めである!」

私の中では父親は規範となる存在なのです。

そんな父との思い出は、業者さんや品物を納めているお客さんに「まぁ、珈琲でも飲んで行きぃな」と言ってコーヒーを淹れることがよくあったのです。
店に常備してあったドリップ機で挽いたコーヒーを淹れるのは私の役目でした。

私もご相伴させてもらえるので、喜んで淹れていました。

そうすると、お客さんたちは「最近な~・・・」と色々とお話をされることが多かったのです。
その時、父親は「はぁ~、なるほどね~」「ふんふん」など、ほとんど頷きや相槌を打つくらいで、相手が8割がた話をしていたように記憶しています。

暫く話していると「あっ、もうこんな時間やね。帰りますわ」と言って帰って行かれるのです。
その時の、その人の顔が晴れ晴れとしていたのが、すごく印象に残っています。

このことを、他の人にお話をしたときに
「それって、正に今の地當さんみたいですよね」
と言われたのです。

父親の背中を見ていたのかなぁ、背中で教えてもらっていたのかなぁ

これって、今の仕事での人との関わり方でとても共通点があります、仕事に活きていると感じるのです。

また、父との会話での思い出としては、
「刺身を見たら、調理した人の腕が分かる!
上手い人は細胞が壊れていないのでドリップが出ない。下手が切るとベチャベチャや!」
「包丁の研ぎ方も、砥石に対して刃の当て方が全く違う」

「刺身を切る」と言うことは、言ってみれば誰でもできる。ピアノの鍵盤を押さえたら、誰でも音は鳴るように・・・でもね・・・

そんな話を父は、子供の私にずっと語ってくれていたのです。

子供のころから、不器用でドンくさかった私には、包丁の入れ方ひとつにそこまでの拘りを持って技術を磨きながら仕事をしている父親の姿を見ながら、一つの事をコツコツと同じことを続けながら技術を磨くこと、道を究める事のカッコよさや凄さを感じていたのです。

そんなことも影響しているのか、患者さんの中にそういったコツコツと何かを究めようとしている方が体に不調があって困っておられる場合は、特に応援をしたくなるのです。

ですが、うちで働いてくれていた人たちは、そうではない人たちもいたのです・・・
最も印象に残っているエピソードとしては、

腕も良く、人当たりも良い、そして刺身を造るという仕事を任されていたベテランの職人さんが、店に居てくれたのです。

その方は、私の事も随分と可愛がってくださいました。
その方が勤務中に毎日500円を自分の懐に入れてしまうという、社会的に許されない事を繰り返していたことが発覚するといった事件がありました。

その職人さんが、家まで謝罪に来られ
「申し訳ありませんでした、二度といたしませんのでクビにしないでください」
と、私たちの前で土下座をされたのです・・・

私の人生で後にも先にも大人が本気で土下座をする。
そんな光景を見たのはこの時だけです。

そして父親は
「謝っても、許されないこともある。店に居てもらうことは出来ない。残念だ」
と言って、その方には辞めてもらうことにしたのです。

私には「一つの事柄を深めて究めたい」「自分を律さないと大切なものは、守ることが出来ない」という信念があります。

このような体験があり、その影響でこのような信念が身についたのですね。

私は、生まれてきて一番身近な関係である両親、祖母の存在が影響して
「理不尽さや恐怖から身を守りたい」と言う欲求から生まれた「観察する」という才能。

「人は安心安全だと思える場所でない限り、ありのままで自然な自分を表現することは出来ない」という経験から与えられた、『人を「ホッ」とさせる』才能を活用しながら治療に取り組んでいます。

人から信頼されるには、父から学んだ「一つの事柄を深めて究めたい」という「誠実」さが必要だということ。
その反対に周囲の大人たちが、自分を律しきれないことで自分だけでなく家族も守れなくなってしまった事を見て、大切なものを守るためには「自分を律さないといけない」という信念を持つようになりました。

家族から生きる上で規範となり生きる力を与えてもらいました。
心から感謝しています。
(次章へ続く)

柔道整復師 地當 健一監修

じとう接骨院の施術は、

問診と検査によって症状の原因をしっかりと見極める
原因と症状両方にしっかりアプローチする
改善すべき習慣等をわかりやすく説明する
しっかりとした治療計画を立て、症状改善までしっかりお付き合いさせていただく

という方針でやらせていただいております。

当院は、「傷ついて」日常生活をニコニコと過ごすのが辛いほどの不調や痛みでクヨクヨと過ごしているあなたの「困りごと」を解決することによって、「生き生き」と「ありのままの自分」として輝いていただくことを目標としています。

院長が1人で責任を持って全ての患者さんに対応し、よくお話を聴かせていただき「原因」をしっかりと把握してからそれぞれの状態に合わせて治療を行います。
また、何故その治療が必要なのか、どのくらいの頻度で通院すれば良いのか、日常での注意点を丁寧に説明いたします。

体に痛みや不調を感じている方は、是非一度、私に相談にいらしてください。
じとう接骨院は、自分の事を表現するのが苦手で痛みや不調をお話する場所が無い方のために「安心安全な場で、ありのままのあなたを取り戻すことが出来る場所であるよう」いつも笑顔であなたをお待ちしています。

当院は完全予約制のため、一日に対応できる患者さまの人数に限りがあります。
長年の痛みや保険が使えない症状である、慢性的な腰痛や肩こりの辛さや不安から解放されたいという方は、お電話で予約を確保いただくようお願いいたします。

自費治療では保険治療ではできないようなオーダーメードの治療をすることができます。

院長 地當 健一

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初回8,800円
2回目以降 6,600円

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受診をご希望の方は、075-595-0889まで、今すぐお電話ください。
じとう接骨院サイトhttp://jitohone.com/ ←こちらも見てくださいね。

診察時間:

平日9:00~12:30、16:00~20:00
土曜日9:00~12:30

〒607-8077 京都市山科区音羽沢町10-7
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