【自己紹介 ☆第2章青年期から治療家になるまで】
おはようございます!京都市山科区の渋谷街道沿いにある、じとう接骨院の院長、地當です。
ブログをご覧いただきありがとうございます。このブログをご覧のあなたは、きっと何かしらお身体の不調を抱えていらして、施術を受けようと思っていらっしゃるのかもしれません。
それに対して施術する人物がどの様な人物なのかについて興味をお持ちだと思います。
実は、私、Kindle出版で電子書籍を一冊出版しております。
ほぼ自伝です(笑)
それを、ブログで順次公開しようと思います。
3回目は、青年期から治療家になるまでの物語です。
悩み多き青春時代ではありましたが、自分の本質に沿った生き方をしていたな。
治療家に成るべくして成った、そんな物語です。
読んでいただけると嬉しいです。
________________________________________
☆第2章青年期から治療家になるまで
◎東洋医学との出会い
名医に骨折を治してもらう
私が中学3年の時に体育のサッカーの授業でゴールキーパーをしている時、ボールを取ろうとして、指を地面に打ち付けてしまい骨折してしまいました。
その時にお世話になったのが、近所の接骨院でした。
その接骨院の先生は外傷の治療経験が豊富で、レントゲンもエコー検査器もない施術室で手を使った検査によって、私の指の骨折を骨折の状態を判断し整復固定してくれました。
そのおかげで、今現在も後遺症が残ることなく正常に指は動いてくれています。
◎ボロボロの状態で受けた治療に感動
高校生の時は柔道部に所属していました。体も小さくどんくさかったのですが、少しでも強くなりたいと思い、警察署の柔道教室や先輩のツテを辿って大学の柔道部に出稽古に行かせていただいていました。
高校2年の夏休みに大学の柔道部に出稽古に行った時の事です。
何と私は大学の柔道部へセレクション入学してきた先輩を、まぐれではあるのですが背負い投げで綺麗に投げ飛ばしてしまったのです。
まぐれとは言え奇麗に投げてしまった後、私はその先輩に投げられまくり、ぼろ雑巾のようになってしまいました。
何とか稽古が終わりほうほうの体で帰宅したのはいいのですが、次の日から身動きをとることが出来ません。受け身を取り損ねて、腰の捻挫(ギックリ腰)を起こしていたのだと思います。
腰を痛めて身動きの取れない私を見かねた母が、知り合いの整体の先生に連絡を取ってくれて、治療を受けました。
1、2回の治療で痛みも疲れも取れ、体が軽く動くようになり「凄いな!!」と感動しました。
ちょうどその頃、整体の先生に治療してもらい回復した時期に、NHKのドキュメンタリー番組でアフガニスタン派兵から帰還された負傷兵の特集をやっているのを見たのです。
その特集の中で、片方の上肢を失った兵士がリハビリ施設で「痛むはずのない失った腕が疼くんだ、何とかしてくれ」と訴えていました。
それは幻肢痛(げんしつう)という脳が作り出してしまう症状で、訴えている本人は本当に痛みを感じてしまう症状です。
その症状に対する治療として、兵士の残っている方の上肢に対して鍼治療を施すことにより、幻肢痛による痛みを治めるというシーンがありました。
私は自らの痛みを取ってもらい感動したばかりで、その番組を見てさらに猛烈に感動した覚えがあります。
◎大学生で振り返り決心
大学では、入学してすぐに極真空手の道場に入門しました。少しずつ実力がつき地方大会に出させてもらえるくらいにはなりました。
ある大会前の稽古で筋疲労がたまり、ギックリ腰になった時や蹴りを受け損なって右の手首を痛めた時には、鍼灸指圧師の先生のお世話になり短期間で稽古に参加できるようにしていただきました。
大学4回生になりこれからどうしようかと考えたとき、中、高、大学生時代にケガをして痛みがあるだけで身動きが取れない、靴を履くのも一苦労など、日常生活がかなり制限されることを身をもって知り、肉体的な痛みが続くと精神的に後ろ向きになりやすいと実感したことを思い出しました。
そして同時に、治療をしてもらい肉体的な痛みが取り除かれることによって精神的に前向きに生活を送ることができ、大変感謝したという体験も思い出しました。
やはり一生の仕事にするならば「人を治して感謝されながらできる素晴らしい仕事」である東洋医学の道に進みたいと決心しました。
◎恩師 綾田先生との出会い
修行先を電話帳で探しては電話で問い合わせていたのですが、鍼灸院で無資格者を雇ってくれる院はなかなかありませんでした。
今から考えると赤面ものなのですが、当時は大真面目です。
そのような状態であることを空手道場の先輩に相談したところ、知り合いの接骨院で助手を探しているからということで紹介をしていただいたのが、その後お世話になることになった綾田先生でした。
綾田先生に色々と話を聞いていただき、「柔道整復師という資格でも地當君の想いはかなえられるよ」とアドバイスを頂いたのが、東洋医学の道に進みたいという思いの中で柔道整復師になるという道を選んだ最初の一歩です。
◎厳しくも楽しい修業の毎日
22歳の5月から30歳の3月までの約8年間「あやた鍼灸接骨院」でお世話になりました。
23歳の4月に大阪にある「行岡整復専門学校」に入学。
自宅がある山科から職場のある上桂までは電車で3回乗り継ぎが必要で通勤時間は1時間半かかったため、専門学校に入学してからの3年間は、朝5時半に起床し、6時過ぎには家を出て電車に乗り7時30分に接骨院に入って院内の掃除など治療の準備、8時半から治療の助手をし、12時から専門学校に通い、17時に接骨院に帰って来て21時まで勤務。
帰宅するのは毎日22時を超えていました。
さらに、寝る前に治療の勉強をすることを日課としていましたので、就寝は1時過ぎ、そしてまた翌朝は5時半起床という生活でした。毎日あまりに眠かったので、起床して直ぐに腕立て伏せ100回を4セットして強制的に目を覚ましていました。
修行先の接骨院はよく流行っていました。問い合わせがあっても断らなくてはならない患者さまがたくさんおられました。
修行先ではよく怒られ、悔しい思い、嬉しい思い、楽しい思い、色々な経験をしました。
よく働き勉強した時期でした。そのおかげもあって、国家試験も一回で合格することができました。
◎師匠からの大切なことば
ある日、綾田先生から
「治療で患者さまにベストを尽くすのは当たり前だ。しかし治療において万能な治療法はないと思う。だから、その患者さまにとって、より良い治療法、ベターな治療法を常に模索しなさい。常に勉強しなさい。患者さまに寄り添うことを忘れたらあかんで」
というお話がありました。この綾田先生の教えは、今でも私の治療家としての信念となっています。
-
あやた鍼灸接骨院で教えていただいた治療技術、そして信念が、私の治療家としての基礎となっていることは間違いありません。
◎修業時代の最も印象に残る出来事
私は、修業時代に、こんなことがありました。
学校を終えて駅の改札口を出て仕事場に向かおうとしていた時の事です。道の向こう側から猫が、こちらに向かって渡ろうとしてきたのです、そこへ車が・・・
ゴツンと言う音が聞こえてきました・・・そう車に轢かれてしまったのです私の目の前で・・・
当時は修行の身・・・理性では、仕事に行かなければ師匠や患者さんに迷惑をかけてしまうと分かっていたのですが・・
私のとった行動は、その血だらけになった猫を抱えて、
職場に行き泣きっ面で師匠に
「猫が轢かれてしまったので病院に連れて行きます(断言)」
師匠は困った顔をしていましたが、
何と!自分の財布から治療費を出してくれ「分かった、行って来い。早く帰ってくるんやで」と送り出してくれました。
残念ながら、その猫ちゃんは顎が、割れてしまっていたので助けることは出来ませんでした
その日の仕事が終わってから師匠に「今回はジトウ君の優しさに免じて許すけれど、今後は社会人として仕事をしていると自覚して行動しなさい」と注意、というか諭されました(当然ですよね←理性では)
この時「はい」と答えたと思うのですが心の中では「同じ状況になったら、また同じことをするやろうな・・・」と呟いていたのを覚えています。
皆さんには、理性では、この行動はやるべきではないよねということでも、ある出来事が起こると同じような行動をとってしまうという事は有りませんか?
その出来事が起こると感情が動いて思わず行動に繋がってしまう、出来事は人それぞれ違うと思うのですが、おそらくあると思うのです。
私の場合は、何かが傷ついていると感じたときに、何とか生かしたい(活かしたい)と感じ、思わず行動に出てしまうということが昔からありました。
このような性質があったから私は、治療家になったのですね。
◎なぜ開業したのか
26歳で柔道整復師の資格を取った後は、患者さまを治療させてもらえることが嬉しく、またスタッフさんや患者さまも仲良くしてくださる方が多く仕事が楽しくて仕方ありませんでした。
しかし、そういった場で働かせていただいていると、自分の中に甘えが出てしまうのです。
治りの悪い患者さまや、ややこしい症状の患者さまがいても「最終的には院長に任せればいいや」的な。このままだと自分の能力を伸ばしきれないかもしれないなという思いに駆られました。
自分が最後の砦になり言い訳のできない状況に追い込むことで、治療技術以外にも自分を向上させて能力を開花させたいという想いが、開業を決意した一番の理由です。
◎いざ開業して
30歳になった平成14年、地元の山科区四宮で開業しました。
開業初日の朝、院内外の掃除をやり終えて、患者さまに来ていただけるのだろうとドキドキしていると、受付開始時間の8時半に院の自動ドアが開きました。
「おっ、こんなに早くから来てくださったのか」と感激して、受付から元気よく「おはようございます!」とあいさつをしたのですが、だれも入って来る様子はありません…
「あれ?」と思いながら玄関を覗くと、なんと立派な体格をしたシベリアンハスキーが立っています!しかも、飼い主もいない様子です。
その迷いシベリアンハスキーは2.3秒間、私を見つめた後に静かに立ち去っていきました。
1番最初に訪れたのが人では無く犬という接骨院は、当院ぐらいではないでしょうか。
忘れることができない出来事でした。
(次章へ続く)
じとう接骨院は次のような方針で症状改善のお手伝いをしています。
・丁寧な【問診】と正確な【検査】によって症状の原因を正確に見極める
・原因と症状、両方にアプローチするオーダーメイドの【施術】を行う
・改善すべき習慣、オススメの運動などをおわかりやすく説明する
・無理のない治療計画を立て、症状改善まで責任持って最後までお付き合いする
当院の究極の目標は、日常生活をニコニコと過ごすことができないあなたの「お困りごと」を解決することによって、「生き生き」と「ありのままの自分」として輝いていただくことです。
お身体の不調や痛みに限らず、お困りごとのある方は、是非一度、私に相談にいらしてください。じとう接骨院は、自分の事を表現するのが苦手で痛みや不調を話す機会が無い方でも、安心してありのままのあなたでいることができる場所です!
なお、当院は院長一人で施術を行っていますので、一日に対応できる患者さまの人数には限りがあります。保険治療の対象ではない慢性的な腰痛や肩こりの辛さや、原因不明の症状による不安から一刻も早く解放されたいという方は、お早めにご予約を確保いただくようお願いいたします。
院長 地當 健一
受診をご希望の方は、075-595-0889まで、今すぐお電話ください。
じとう接骨院サイトhttp://jitohone.com/ ←こちらも見てくださいね。